小栗上野介(1827.6.26〜1868.閏4.6)は、江戸末期の旗本。34歳
で万延元年遣米使節の目付として渡米。通貨交換の不平等是正の為、
ドル金貨と小判金貨の全量分析実験を主張し貫いた。帰国後、総合工
場である造船所建設で日本の近代化を図るべく1865慶応元年に仏人
技師の指導で横須賀造船所を建設。日本初の株式会社「兵庫商社」
設立、仏式陸軍制度導入など数々の近代化を進めた。明治維新・幕府
解散で上州権田村で帰農準備をしていた所、明治政府軍(薩長軍)が
無実の罪を着せ小栗父子と家来6人を斬首殺害した。 |
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